【他人のことは願えない】引き寄せの法則で必ずぶち当たる壁。【その不幸はその人が引き寄せたのか?】
「『ねこすめ日和』、
猫もコスメも全然出てこねぇじゃねーか!」
と言う、皆様からの心の声(クレーム)が聞こえてきましたので
この場を借りてお詫び申し上げます。
全然関係ないことばかり好き勝手書き続けており誠に申し訳ございません。
お詫びのしるしとして最近ガチャで手に入れた
「テレワーク 仕事邪魔猫」をお贈り致します。
人間めがZOOM会議中に邪魔しちゃうアメショー様でございます。お納めください。
で、性懲りもなく表題の通り
今日も猫もコスメも関係ないこと書きますね(←全然反省してないやん)。
引き寄せの法則を学び・実践していると
必ずぶち当たる難題と言っていいのではないかと思うこと、
2点挙げて考えてみたいと思います。
①「悲劇に見舞われた人はそれを望んだのか?」
この点に関しては特に2011年の東日本大震災の時に考えさせられた方が多いのではないでしょうか?
いまだによく5chのスピ板でも議論になっていたりします。
(サラッとねらーである事をカミングアウト、って言うかむしろ5ch見たことない人って居るんですか?w)
当然、掲示板では納得できるようなレスは見られませんが。クソみたいなレスしかないですよ。
東日本、特に甚大な被害を受けた東北の被災者の方々が自らの不幸を望んだはずもありません。ではどうしてあのような悲劇が起こってしまうのか?
この点については当時私はとても頭を悩ませ、引き寄せの法則を信じられなくなりそうにまでなりました。
日々一生懸命生きていた人たちになぜ宇宙はあのような仕打ちを?
意味がわからなくて、とても理不尽に感じました。
この点に関しては
最近新たに『ザ・シークレット』への理解を深める為に読んでいる
『ザ・シークレット TO TEEN』という本の中にそういった「無害なのに悲劇に見舞われた人」について、まぁまぁマシな説明がされていたのでご紹介します。
簡潔に記すと
問)「なぜ無害な人が犠牲になるようなことが起こるのか」
答)「引き寄せの法則を知らない人が誤って引き寄せてしまった結果。
意図せず、欲しくないものを引き寄せてしまった。」
まぁまぁまぁまぁ…異論は認めます。
ただ、誰も傷つけない考え方だと思ったので、
「なぜ無害な人が犠牲になるようなことが起こるのか」について、これから私はこのスタンスを取り入れていこうと思います。
また、"i Pod" の再生を例えとして出しているのですが、
<引き寄せの法則を実践している人>
→自分の好きな曲順でプレイリストを作成し、順番通りに再生している。
→自分の得たい結果を得られる(=聞きたい曲を聞きたい順番で聞くことができる。)
<引き寄せの法則を実践していない/知らない人>
→ランダム・シャッフル・モードで再生しており、ランダムに曲を聞いている。
→自分の得たい結果と必ずしも合致しない(=聞きたいときにその曲が再生されるとは限らない=得たいものを得られる可能性が格段に下がっている。)
なので、欲しいものを引き寄せたければ、「ランダム・シャッフル・モード」で人生を送らないこと。
自分の意志でプレイリストを作り、得たいものを最良のタイミングで受け取るようにすれば良いのだと。
こちらも中々わかりやすい例えだと思いました。
難しく考える必要はなくて、単純にそのままこの解釈を受け取ればいいと思いました。
このテーマについては各々感じるところがあると思いますので、このあたりで一旦〆たいと思います。
②他人のことは願えないことについて
当然と言えば当然なのですが。
引き寄せの法則に限らず普通の人間関係と同様「他人を変えることはできない」わけです。
自分の大切な人にどんなに幸せになってほしいと願っても、宇宙には「私」が主体(主語)の願いしか叶えられません。
この点に関しては、アファメーションを考えるのにかなりコツがいるというか、
自分を主語にしてその人とどういう状態でいたいのか
という文章の構成をすればいいわけですが、それが中々難しいんですよね。
自分を主語にした自分の願い事はさらっと文章にできるのに、第三者を盛り込んだ文章を考えるのってすごく難しい。
それは私が自己中心的な人間だからでしょうか。。
難しいけど、
他人のことを願うにはその方法しかないのだから、
文章力を磨いて、
イマジネーションを存分に働かせて、
良きアファメーションを作れるように努力するしかないんですよね。
人生日々修業ですね、改めて。